2018-06-05 第196回国会 参議院 法務委員会 第14号
やや場違いなエピソードを引用させていただきますが、私の所属する早稲田大学の前身であります東京専門学校の開校式におきまして、その開学を実質的に牽引した小野梓は次のように述べています。「国を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその民を独立せしめざるを得ず。その民を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその精神を独立せしめざるを得ず。而してその精神を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその学問を独立せしめざるを得ず。」と。
やや場違いなエピソードを引用させていただきますが、私の所属する早稲田大学の前身であります東京専門学校の開校式におきまして、その開学を実質的に牽引した小野梓は次のように述べています。「国を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその民を独立せしめざるを得ず。その民を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその精神を独立せしめざるを得ず。而してその精神を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその学問を独立せしめざるを得ず。」と。
そして、松野大臣は早稲田大学の出身だと思いますけれども、早稲田大学の創立のときの東京専門学校の開校の辞を述べた小野梓という方がいますけれども、この方が言った学の独立というのが、早稲田の校歌になっているわけですよね。
さかのぼれば、衆議院議長を務められた曽祖父和夫氏は、今でいえば東京大学法学部に当たる法科大学の教頭や、早稲田大学の前身、東京専門学校の校長も務められ、曽祖母春子様は現在の共立女子学園の創設者であり、祖母薫様はその理事長という、類いまれな教育者の御一家でもあります。
大隈重信と一緒に東京専門学校、今の早稲田大学の創設に当たって、創設に尽力をした小野梓さんという法学者の方がおられるんですけれども、この人が東京専門学校の開校式で次のように述べているんですね。 一国の独立は国民の独立に基いし、国民の独立はその精神の独立に根差す。しかして国民精神の独立は実に学問の独立に由来するものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必ずその民を独立せしめざるを得ず。
なお、この東京専門学校につきましては、例えばC・W・ニコルさんなんかも講師ということで協力をしておるということでございまして、それ自身は極めてまじめな学園でありますし、大変な負債を抱えながらも山瀬理事などが無償で協力することで何とかそういう教育ができておるというふうに承知をしております。
この著者の朝河貫一さんというのは、東京専門学校を卒業してエール大学に進学し、そこで比較法制史というのを勉強されまして教授になり、最後は名誉教授になったのじゃないかと思いますけれども、終生アメリカにいらした方でございます。この方がこういうふうなことを述べておるので、しばらくちょっとその文章を読ませていただきます。ただ、ちょっと意訳をいたしました。
そこで、なぜそういうことが起こったかということについては、いろいろな人のいろいろな意見もあるのでございますが、大正九年という時点におきまして、東京専門学校から早稲田大学になったわけです。ところが、これは早稲田だけでなく、その他の学校というものも大学になりましたけれども、国家の財政的補助というものはありませんでした。
皆さまよく御存じの吉田松陰の松下村塾にしろ、福沢諭吉の慶応義塾にしろ、あるいは大隈重信の東京専門学校にしろ、クラーク博士の札幌農学校にしろ、いずれも明治を築いたすぐれた人物を育てたのは個性豊かな創造的な教育の成果であります。教科書の自主採択権を奪うことは教師の教育研究を停滞させ、個性豊かな教育の発展を阻害し、画一的、押しつけ的教育が蔓延することになりそうです。
(拍手) 同君は、明治十七年八月十五日香川県高松市六番町に生まれ、早稲田大学の前身東京専門学校を卒業し、明治四十年司法官として世に出られましたが、わずか一年にして退官せられ、弁護士となって大いに法曹界において活躍せられました。大正六年四月、第十三回総選挙に当って、君は、時の宰相大隈重信伯の知遇を得て、初めて政治家たらんことを決意し、ついに衆議院議員に立候補し、みごと当選の栄をになわれました。